フィリピンワシに救いの手を
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安藤達己がつづる ブログエッセイ


安藤達己:wikipedea        年次報告        ダウ゛ァオ本部ホームページ

熱帯の島:ミンダナオ島へ!

 1989年:私はダヴァオへ向かう飛行機に乗っていた。機は西南に向かって飛び続け、沈みかけた陽光がいつまでも翼の下側を赤く染めている。翼の上側が影となり、天地が逆さまになったような奇妙な感覚に浸っていた。ダヴァオ空港に着いた時、さすがに長い夕刻も夕闇に変わり、フライトアテンダントの“サラマッポ”との声を聞きながら飛行機の外に出ると、熱帯地方独特のムットした湿気を帯びた暑さと甘い香りが私を包み込んだ。タラップを降りるとターミナルビル迄は雑草の中を歩いて行く、ビルの外には自動小銃を背負った兵隊が数人警戒をしていた。本物の銃を持った人に、めったに会うことの無い私にとって、突然、戦線に迷い込んだ様な妙な錯覚に陥る。“そうだった!ここはミンダナオ島だ。”

日本を出るときフィリッピンの反政府組織:アブサヤフ(ビン:ラデンと関係のあるテロ集団と言われている)・NPA(ニュープーピルアーミーと呼ばれる共産党組織)・モロイスラム解放戦線等の拠点になっていることを読んだっけ。“こんな光景はしごく日常的なんだ!”と恐怖心を押さえ込む。出迎えの群集の中に友人を見つけるとさすがにホットした。”後はシャワーですっきり・エスニックな夕食だ!”


イーグルセンターに向かって出発!進行!


 ホテルで朝食を摂っていると約束どおり、友人がドライバーを伴って迎えにきた。国鳥:フィリッピンワシがいる動物園(イーグルセンター)に連れて行くとゆうのだ。交通渋滞のひどいダウンタウンを抜けると車の量はグット少なくなったが、今度は道路がデコボコだ。名物のジープニー(乗り合い自動車)が我が物顔に、客と見れば急に右ハンドル(ここは右側通行です)を切って停車する。古いタイヤで走っている上に名ばかりの舗装、アッチでもコッチでも車を路肩に止めてパンクを修理している。私の乗っている車だって、ほぼ自家製に近い。この暑い熱帯地方を走るとゆうのにエアコンは‘無し’ですぞ。ドライバーは“エンジンはトヨタカローラ1600”だと誇らしげに言ってたけどね。そういえば、信号がない!合流する車は強気に割り込んでくる。

いつの間にか道路沿いの民家がまばらになってきた。時々、軍人を乗せたジープが私達を追い越していく。と今度は道路の両側から鉄柵が交互に突き出され、スロウダウンの表示がある。それも2:3キロごとにだ!テロ対策なのだろうが、“そんなことしなくたってスピードを出せる道じゃねーだろう!”と思わず独り言。もうホテルを出てゆうに1時間は経っている。市街地をここまで離れると、かなり田舎風の景色に変った。道端の雑草の中を鶏が行く、ほとんどメン鳥でヒヨコを連れている。日本の鶏に比べるとぐっとスリムだ。私達の車が急接近すると、飛んだっ!あれは鶏じゃない。キジかヤマドリだ!!


何処に行くんだよう?

 交通量の多いメインストリートを左折すると、舗装道路は終わり、泥道に変わった。長時間、暑い車内に閉じ込められ、額からの汗は止まらない。座っているズボンの尻が汗でビッショリ、気持ちが悪い。それにしてもひどい道だ。“こりゃー!舗装なしの山道だぜ。”友人がドライバーとなにやら心配そうに話してたと思ったら、突然右折した。もう山道どころじゃない、車一台がやっと通れる‘ケモノ道’だ。突然“誘拐される!”とゆう恐怖が頭をよぎった。すぐに遮断機が行く手をさえぎり、歩哨兵が出てきた。勿論、自動小銃を携えている。見たところ兵舎は見当たらないが、この奥に陸軍のキャンプがあるに違いない。ここはテロと戦う最前線なんだ!ドライバーと歩哨兵がなにやら話をしているが現地語(ビサヤンと呼ばれる方言)だから皆目、見当がつかない。ここまで来たら、コッチも度胸をすえた。“なるようになるさ!”話が終わると今度は、狭い道路でUターンだ。道を間違ったに違いない。“本当にもう:あーあ あーあだよ。”


着いたぞ!イーグルセンターだ!

 道路の右手にワシの大きな絵が描かれた看板と矢印が目に入ってきた。とうとう着いたぞ。間違いなくイーグルセンターだ!“誘拐されなくてよかった!”車を降りて入園料(¥100−位)を払って、木陰の小道を少し歩くと山小屋風の建物が見えてきた。木が多いせいか、はたまた車の中が暑すぎたせいなのか涼しく感じられる。
建物を通り抜けると、胸が白い小さなトンビみたいな鳥が柱に繋がれていた。次は小さなオリがあり、薄暗い中をじっと覗いていると、これはどうやらニシキヘビの小さい奴だ。イタチに似たものやら、ウズラのような鳥やら、こんな思いをして迄、見に来る程のものじゃねーや!石で囲まれた深い池を覗いてみると、ワニだっ!これはでかい。間違いなくミンダナオ島、固有のワニだそうだ。そんな動物がこの島に居るとは思ってもいなかったので、これにはちょっと驚いた!

木陰を抜けると、友人が私の脇をつついて指差した。大きなケージの中に大きな鳥が、私と目が合うと、顔の周りの毛を逆立てて、私に向かって飛んできた。一瞬、身をすくめた!オリの中の鳥が襲ってくる筈なんかないのによ!“フィリッピンの国鳥:フィリッピンワシ”だ!!身長:約1m 翼長:2.3から2.5m 体重:7キロ前後 これはバカでかい!私の鳥に対するイメージが一変した。
かって、この鳥は“サル食いワシ”と呼ばれ、人の子さえ、さらって行くと恐れられたのが分かるような気がしました。人の子はともかく、このワシは本当にサルを襲って食べているそうです。


このワシが絶滅の危機だって!

フィリッピンワシ
 “翼よ!あれがパリの灯だ“で有名な飛行家、リンドバーグがこの地を訪れた時、フィリッピンワシの飛ぶ姿に感動し”地球上で最も美しく、威厳をもって飛行するもの“と表現したそうですが、この鳥が今、絶滅の危機にある。園内を見て回った後、PEF(Philippine Eagle foundation)の繁殖責任者:タデナとこの組織の実質的な責任者:デニスと会食しながら話したところ、当時確認されたフィリッピンワシは、野生で、わずかに60数羽。
その後、1995年:このワシはフィリッピン国の国鳥となり、民衆の意識も急激に変わり、ミンダナオ島がほとんどですが、目撃情報も増え、フィールドワークの充実もあって現在は、推定300―ツガイ位。生息していると思われます。それでも、この鳥の繁殖力の弱さ(ツガイのワシは一生添い遂げ、繁殖シーズンに育てる雛はたった一羽。7ケ月位で巣立った後、なんと一年間も巣の近くで親に養って貰います。きっとその間に‘狩り’の仕方を学ぶのでしょうね)から絶滅の危機にあることに変わりはありません。両氏とも、日本を直接、批判するような言葉は、吐きませんでしたが、第二次世界大戦中に日本がフィリッピンを占領し、そこが戦場になったり、昭和30年台に大量のラワン材を輸入したことを知っている私は(飛行機から見える、多くの禿山はラワン材を伐採した傷跡ではないか?それ以外にも勿論、現地の人による違法伐採や焼き畑農業も関連しているとは思いますが)日本人として、この鳥の窮状を黙視することは出来ませんでした。

日本に帰って来ると、すぐに友人達に協力を求め、わずか13人のメンバーですが“タカを救う会インジャパン”を作り、メンバーの方々からポケットマネーを募りました。これをUSドル・貯金に換え(現在はフィリッピンのBPIバンク:ダヴァオ・メインブランチに預け。今年の援助を終えて残高は約$36、000−となっています)1992年より毎年$700−をPEFに寄付して来ました。今の基金で同額の援助を向こう30年、続けていけると思いますが、私たちの活動に理解をして頂ける方々が増えて基金が大きくなれば、援助額を増やしてゆきたいと考えています。皆様のご理解を期待して----------


取り扱い銀行:

みずほ銀行 足立支店(312) 普通 1600548
名義  アンドウタツヒサ:(タカを救う会インジャパン:代表 安藤達久)

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寄付金に関しては一口10,000円から承っております。皆様のご支援をお待ちしております。


蛇足ながら

NHK 1チャンネルでフィリッピンワシについて2度取り上げ、放映されました。
“生きもの地球紀行:”フィリッピン熱帯雨林 サルを狙う巨大ワシ”1999年2月1日
“アジア人間街道 フィリッピンワシ繁殖奮闘記”2002年11月20日



会員(敬称略・順序不同)

渡辺孝一
阿部昭二
大留純一
稲葉俊一
柿坪正晴
里内得子
長門洋子
木本瑛子
岡谷智子
岡本由紀江
岩藤良子
寺師裕子
安藤達久

 

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