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教育は未来を背負う(奨学金制度)
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安藤達己がつづる ブログエッセイ



教育は未来を背負う(奨学金制度)


 1997年:ダヴァオのゴルフ友達で、時々食事を共にする友人、エドガーが是非、セカンドハウスに来て欲しいとホテルにやって来た。
その日は特別予定もないので、エドガーの車に乗り込むと、これが何と!運転手つきだ。
ほう! この人、たいしたもんだと感心しましたです ハイッ。運ちゃん、かなりスピード狂だ。デコボコ道を猛然と飛ばす。
右手に霧のような煙が立ち昇っているのが見えた。ワッ ゴミだ!ゴミの山だ!マニラではスモキーマウンテンとして有名で、話には聞いていたが、ここダヴァオにもあったのだ。ゴミの上にはバラック風の家が何軒か建っていて、大人も子供もゴミをひっくり返して、何やら漁っている。
窓を開けると、すっごーい臭いがした。そこから更に、かなり走ったところで運転手に‘まだか?’と聞くと、‘まだ半分しか来ていない’とそっけなく答える。
行く先はダヴァオ・デルサー(ダヴァオの南)のマタナオ市だとのことだ。この車、効きは良くないが一応、エアコンがついていたので、ウツラ ウツラしていると、エドガーが窓を開けて、その辺にいる人たちに、やたら話かけている。‘へー、皆な友達か?’と聞くと‘いやー サポーターだよ’ときたもんだ。貧相な店らしきものが10軒程集まっている十字路で車を止めた。相変わらず、ひっきりなしに声をかけたり、かけられたりしている。なんと、ここがマタナオの中心だとさ。
そこから未舗装のデコボコ道を10分も走ると綺麗な二階建て、趣味の良いあずまや付の家に着いた。スリムな奥さんが家の中へ案内する。すかさずエドガーが冷たいビールを運んできた。 暑い中、2時間以上のドライブ、これは美味しいっ。すっげー大きな、バイクのふかす音がする。窓の外を見ると‘ええっ、どう見たって125ccのオフロードだ。荷台が異常に長く出来ていて、そこに2人、ガソリンタンクに跨って1人、計4人が乗って、エドガー邸に乗り付けた’エドガーが外に出て、なにやら話していたが、戻ってくると‘アンドウー、トバを飲むかと聞いてきた’(椰子から作ったドブロクで、おいしいけど以前、これを飲んで、ヒドイ下痢をしたので) ‘うーん、ちょっとね?’と答えると、察っしがいい。‘トバを飲む前に、水を沢山飲んでおけば、絶対下痢はしないよ’だって。好きだもん!勿論、飲んださ。アルコールも程よく入って、話が弾むうちに、今年の選挙で、エドガーがマタナオ市の市会議員になったことや、次の選挙で市長を目指すことなどが、分かってきた。これを機に‘マタナオ、スカラーシップ、グラント、ファンデイション’とゆう、やたらに長い奨学金制度を設けて(政治家の人気取りでしょうが)高校生を援助したい。ついては‘タカを救う会インジャパン’に協力して欲しいと、マー こうゆうことでした。

私も、かねがねこの国の未来は子供たちの教育にかかっているにもかかわらず、現状は小学校への進学率70%:中学校への進学率、わずかに40%なのを知っていましたので、この申し出を断れませんでした。こうして1998年より毎年$400−をこの奨学金制に寄付し始めました。ダヴァオに行く度に、車に揺られること2時間、マタナオまで奨学生に会いに行くハメになったのです。

エドガー氏は毎年、奨学生は20人とか30人とか言うのですが、私が会えるのは一番多いときでも5人、‘変だな‘とは思っていました。次の日曜日、長いこと付き合いのあるマンカオ家でレチョン(豚の丸焼きで、フィリッピンの代表的な‘ご馳走’、奥さんがこの商売をしていた)を食べながら、ミンダナオ大学を卒業した長男と話したところ、中学生が学校に通う費用は年$100−以下とのことだ!何のことはない、マタナオ奨学金制度は、私たちの寄付だけで成り立っていたのだ!帰国するとすぐに、‘信用できない制度に会員の善意で集まったお金は使えない’ことを知らせ、2003年度よりマンカオ家の協力で“タカを救う会インジャパン”が直接、中学生5人の援助に乗り出しました。

当時、まだ大学生だったマンカオ家の長女:ジョアンナがこの奨学金制度の責任を持つことになったのですが、なにせお金を扱う仕事。すぐにお金の無心が始まりました。ついに私たちの基金(約$50,000)をペソ(約2,000,000−ペソ)に変えて、ジョアンナの彼がマネイジャーをしている質屋に投資しないかとまで言い出す始末。ジョアンナの兄からのメールで‘ボーイフレンドと組んで私たちの基金を騙し取ろうとする’陰謀を知り、落胆すると共に、やり切れない絶望感に襲われました。 たった5年の間に信用してきた2人に裏切られ、国境を越えて信頼関係を築く難しさを、いやとゆう程、思い知らされました。でも、いくら腹が立とうが、なにも悪いことをしていない奨学生達の援助を止めることも出来ず、次の年:2004年もダヴァオを訪れましたが、ジョアンナは私に会うのを避けて行方知れず(本当に家族も居場所が分からないのかは、知りませんが)。とにかく援助を続けるためには、信頼できる人を探さなければならなかったのです。

皆さんは、私がダヴァオに行った時、奨学生にお金を渡せばいいと思うかも知れませんが、貧しいこの国でそんなことすれば、お金はアッとゆう間に違うことに使われてしまうのです。だからこの制度を続けるには、どうしても信頼できるマネージャーが必要なのです。毎月、必要な額だけをマネージャーが直接、奨学生に渡すのです。そんな折も折り、かってPEF(Philippine Eagle Foundation)でコムニケイションオフィサーとして数年の付き合いがあった、ラニーと連絡が取れ、すぐホテルにやって来ました。
私の話を聞くや、いなや‘わたしにやらせて下さい’と申し出たのです。同時に‘信頼できる人が見つかれば奨学金制度を続けるかどうか’も聞いてきました。‘私たちには、ダヴァオで今後30年ボランテアー活動を続けられる基金があるから当然でしょう。’と答えたところ、その日の夕方、ラニーの叔母さんにあたる女医さん、ビンキーを連れて、再びホテルを訪れたのでした。
ビンキーのご主人は外科医で、兄弟達も医者になり現在はカナダ、アメリカで開業しているとか。ご主人だけはフィリッピンに残り恵まれない収入でも同胞のために頑張っているのだそうな。見上げた生き方だなーと少々感動を覚えました。ラニーとビンキーの協力で奨学金制度の継続が決まると、久しぶりに、有名な錦エビやマングローブガニをピリ辛:中国料理風に仕上げて貰って、それは、それは美味しい夕食を楽しんだのでした。
以後、奨学金制度になんの問題もなく、今日に及んでいます。

2010年度奨学生

今年はユニスとオードリッドが卒業。
ドリーサラスが転居したため、5人中、3人が入れ替わることになった。
3人とも男子で、高校1年生になる。
ロルジンはシリブ・ナショナルハイスクールに入学が決まっているが、ダレルとダンテは、まだどこの高校に入学するか決まっていない。
アランポールは16歳、イヴァンジャイは15歳になり高校4年生になる。

アランポール

アランポール 男 16歳 
ドラン・ハイスクール 4年生

将来は、エンジニアに成り、美しくて、遠い国へいってみたい。日本かな?!

イヴァンジャイ

イヴァンジャイ 男 15歳 
バンボイ・ナショナルハイスクール 4年生

小学生の時は、遊んでばかりいたけど、高校生になったら勉強して、自分の力を高めていきたいと思う。よし!初心忘れるべからずだ!

ユニス

ロルジン 男 12歳 
シリブ・ナショナルハイスクール 1年生 

私は家の手伝いを喜んでするし、暇があればバスケットも好きだが歌ったり踊ったりの練習をしている。
将来は看護師になりたいと思っています。

オードリッド

ダンテ 男 13歳 
入学する高校はまだ決まっていない。 1年

私は一人っ子で母親はサリサリストアー(小さなコンビニ)を営んでいて、店が忙しい時は喜んでお手伝いをしている。友達も沢山いるし、皆が集まればバスケットをする。ペットの犬の世話も私の仕事です。

ドリー・サラス

ダレル 男 14歳
高校はまだ決まっていない。

私には家族がなく、一人ぼっちで親戚の家で暮らしている。子供の頃から教会に行っていたので、敬虔なクリスチャンです。読書が大好きで、友達にも恵まれている。将来は弁護士になって貧しい人の力になってあげたいと思っています。

ドリー・サラス

マネイジャー グレンダ

グレンダ (40歳)昨年まで、高校生の世話をしてくれていたラニーが母親になり、当会のマネイジャーを止め、代わって叔母さんに当たるグレンダが勤めてくれることになった。

 私たちの基金が充実すれば、更に奨学生を増やすことが出来ます------------

取り扱い銀行:
みずほ銀行 足立支店(312) 普通 1600548
名義  アンドウタツヒサ:(タカを救う会インジャパン:代表 安藤達久)

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